この地図では明確に「二つ井戸町」・「下大和橋」が明記されております。また名称は記入されておりませんが「高津神社表門筋」が読み取れます。しかしすでに大正13年には高津神社境内より流れ出ていた梅ノ木橋の下を流れる「梅川」はすでに見当たりません。また下大和橋からすぐ西に「高津入堀川」というのが南北に流れ御蔵跡町に繋がっております。この水路を通って物資が御蔵跡まで運ばれたのでしょう。名前の由来が良く理解できます。
この高津入堀川も東横堀川も西横堀川も、現在の阪神高速道路の路線とほぼ同一ルートです。土地の確保が安易な方法で、結果大阪人は多くの水辺を失い、高速道路を手に入れたのです。将来に何を残すのか、もう一度考えたいものです。