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えべっさん(今宮戎神社)

えべっさん(今宮戎神社)

今宮戎神社の祭神は、天照皇大神・事代主命・他三神とされており、創建は推古天皇の時代四天王寺と同時期に建立されたと伝わっております。「えべっさん」はご存知のように右手に釣竿、左手に鯛を抱えておられ、その姿からも魚業の神様として、海からの幸の象徴です。
もともと古代の大阪湾は現在より陸地に深く入り込んでおり、現在の今宮戎の辺りも海岸であったようです。このような海辺での物資の集まりやすい立地では、海の幸と里の幸、山の幸の交易が盛んで四天王寺西門に「浜の市」という市場があり、今宮戎が祭られていたとの記録があるようです。これが江戸時代を経て商業全般の神様になったのでしょう。
もともと「戎」という文字は中国では西方にいた異民族(チベット系・中央アジア系)を意味し、後に日本でも「夷」という文字は東北より以北の異民族を指し、彼らの国を「蝦夷」と呼んだ歴史があります。ずばり「えべっさん」のルーツは大陸より来た、渡来人であったことは間違いないようです。渡来人をも神として崇める日本人独自の「融和性」、これらは太古の時代からの日本人のDNAなのかもしれません。日本一融和性のある混沌とした「大阪」に渡来人の神様に人気があるのは当然なのでしょう!これこそ「オモロイ大阪」の原点です。


耳の遠いえべっさん

耳の遠いえべっさん

戎伝説では、えべっさんは耳が遠く神社の裏側に回って、木槌か素手で木盤を叩かないと願い事が聞こえないと伝わっております。この写真はその裏側に殺到する参拝客です。我先にドンドンと叩く様はまさしく騒々しい大阪ならではの祭り風俗であります。耳が遠い神様とは一体何を意味しているのか?高齢であったのか?障害があったのか?いずれにせよこの叩くという行為自体をイベント化することにより、一段と神との距離が短くなっている事は確かです。
何百年の時間の中で大衆の中に「耳の遠いえべっさん」がイベントとともに浸透し、叩く事により神様とのコミニケーションを楽しんでいるかのようです。イスラム教やキリスト教には考えられない風習です。オモロイもんです!


えべっさんの福娘

えべっさんの福娘

正確には福娘は2種類あり、正式な審査にて選ばれた福娘と、この写真のようなバイト福娘とです。正式福娘は頭に金の烏帽子を冠っております。1月の十日戎には3日間の祭礼にて100万人の参詣者がお参りすると言われており、まさしく「1年を3日で稼ぐ」勢いです。この「福娘」や「耳の遠いえべっさん」・「宝恵かご」・「福笹」等完璧なソフトシステムにて一大事業となっております。福娘部・宝恵かご部など担当部門があるのかも・・・・・・。意外やこのシステムこそ商売繁盛のノウハウなのです。


えべっさん堤燈櫓

えべっさん堤燈櫓

えべっさんの境内にある「堤燈櫓」です。夜は明かりが入り、ひときわ美しい浪速の祭りを演出しています。しかし実際にはこの美しさに浸る間もない「チキチン・チキチン」というお囃子と「商売繁盛で笹持って来い」という掛け声が炸裂しております。これに負けずに参拝を終えるには相当の気力が必要です。大阪人はこのようにして気力を鍛錬しているのかも知れません!間髪を入れない突っ込み、静寂と退屈を許さないサービス精神。これら大阪人の遺伝子を代表したような祭りであります。


えべっさん・夜店

えべっさん・夜店

えべっさんのオフィシャルグッズを販売する夜店です。熊手や笊はお金をかき集める所から来ているとのことですが、実は魚業の神様である事からの魚を入れる篭が由来であるとの説もあります。後者の解釈のほうが夢があり和みます。このほかにも数多くの夜店が約2~3キロも並ぶ様は壮観です。しかしこの夜店も時代とともに変化している様が微妙に読み取れます。
我々の少年時代にあった、「飴細工」・「針金細工」・「べっ甲飴屋」・「覗きからくり」・「こぼれ梅」は完全に姿を消し、「綿菓子」・「岩納豆・生姜漬」・「固焼き」・「焼き銀杏」もすでに時間の問題のようです。代わって最近登場してきているのが、「焼き鳥」・「じゃがバター」・「韓国ちじみ」・「イカの姿焼き」・「フランクフルトソーセージ」、変ったところではトルコの「ケバブサンド」なんかも登場し国際色豊かな「メタボリックシンドローム大会」となっております。見事な時代の鏡です。