この写真は正式には「はいからほり商店街」、善安筋から谷町筋までの間。谷町筋より東は「空堀どーり商店街」、善安筋から松屋町筋までの間は「空堀商店街」と区分されており複雑!商店街そのものは全国的現象の後継者問題・空き店舗問題等がやはりここもありそうな雰囲気。
商店街の中にある老舗、昆布の「土居」。最近店舗をこの写真のように改装され現代風となっている。大阪名物の昆布屋がこの商店街に確か2~3件あったようです。やはり戦災に遭わなかった伝統ある商店街の一面が見受けられます。
商店街の中でもひときわ強力なノスタルジー光線を放っている玩具屋さん。もともとは文房具屋さんであったらしくそれで看板が「コクヨ」である理由に納得!しかしこの付近に小学校はすでになく桃園幼稚園と南高校がありますが・・・なかなか経営は難しそう。
「空堀どーり商店街」にあったお肉屋さんのコロッケ実演販売。なぜかこれも商店街の定番です。学生時代の部活の帰りに出来立てのコロッケをほうばった経験はみんなあるでしょう!
大量のラードで高温で揚げるからうまかったんですね!日本版ファーストフードです。
商店街を一筋横に入ったところにあった空き店舗。中の広さや構造・間取りが良くわかります。これから再生されるのでしょうが、出来る事なら界隈性のある空堀らしい計画にしていただきたいものです。
ほとんど松屋町筋に近い空堀商店街の立派な「うだつ」です。やはり戦災に遭わなかった商店街だけあって、文化財クラスの「うだつ」が残っております。前回「天下茶屋界隈」で住宅の「うだつ」を取り上げましたが、やはり圧倒的に空堀の方が立派です。どちらかと言うと「うだつ」が装飾になり機能を無くす前の本来の姿のようです。
空堀地区がオモシロイ大きな要因の一つがこの写真のような凹凸のある露地です。空の堀であった商店街筋を埋め立てた時、回りの土地より高くしたためこの様な人工の坂道が多く出来たと伝えられております。なぜ商店街だけを高くしたのかは謎ですが、一説には豊臣の埋蔵金が隠されているとのロマンのある説もあります。ただしくれぐれも商店街を掘り返さないように!
基礎の石垣と建物の塀が一体になった城壁の作り方そのものです。坂道の多い街は視覚的に変化があり街として美しいと言われております。神戸とか長崎がそうですが、ここでもやはり空堀の魅力の一つになっています。建物の切れ目から漏れてくる光や夕日がことのほか美しく感じます。
商店街からトンネルのような建物の間を抜けると露地の奥に長屋が出現します。この長屋からまた迷路のように路地が続き、方向感覚が狂い始めた頃に突然大通りへと放り出されます。
まるでイタリア・ベニスの迷路のようです。
レトロな窓格子です。風情があり絵になります。中にはどんな方が住んでいるのか、少々気になります。ともかくこの地区はいまだに住居としてほとんどの建物が今も機能しているところに驚きと魅力を感じます。生活の匂いこそ街の生きていると言う証であり鼓動であると考えます。
空堀商店街から善安筋を北に入った桃園公園付近の魚屋さん。この日はもう商品売り切れ閉店状態でした。家内の母親が生まれ育った場所近辺です。船場ほど「すましておらず」新町ほど「騒々しくなく」本当に適度な下町です。そういえば私の家内が「母親がこの地を離れた後も頻繁にこの商店街に買い物に訪れていた」と想い出しておりました。好物は「空堀の太刀魚」と「土居の塩昆布」であったとのことです。将来私たちに「愛着とこだわり」を持てるものがどれほど残るのでしょうか?
善安筋の桃園公園前の旧家2件。この左側の家は鉄工所です。戦前からこのあたりには鉄工所が多く、ちなみに家内の母親の生家も鉄工所であったとの事です。(そういえば東横堀川の九之輔橋近くには住友の精銅所跡の碑が残っております)東横堀川や旧猫間川(現在は埋め立てられてない)が鉄や銅の運搬に大いに水運が利用されていたのでしょう。
時代の風雪を経て今も現役の建物です。やはり上町台地は地盤が強固で地震にも強い土地なのかもしれません。中国の風水によりますと「竜が川岸に水を飲む姿の、竜の頭の位置が最高の土地である」と言うようですが、まさしく上町台地は竜の背で、ちなみに大阪城は竜の頭、水を飲む川は大川です。
商店街本通りより露地に帰って行く「おばあさん」。この風景にそっくりなのを他に2箇所頭に浮かびました。一つは京都寺町界隈の露地、もう一つはイタリアのベニスの水路への露地。
やはりこれらに共通する「迷路性」は民間主導の軍事・防犯を背景に感じます。この探索でも感じましたが、裏露地は本当に用事のない人間は歩きにくいところです。またよそ者はすぐにわかります、なぜなら露地の行き止まりにすぐに慌てふためくからです。また行き止まりは非常に上手に隠蔽されており、曲がり角を曲がるまでそこが行き止まりとはわからない場合が大半です。この迷路の謎はもっと研究が必要です。オモシロイ!
五十軒筋にある熊野街道の標識。空堀と熊野街道とはなかなか結びつかないのですが、空堀の江戸時代よりはるか以前の平安時代にすでにここ上町台地を南下する熊野街道が存在したのです。京都から上町台地の北の端に到着し、上町台地を南下この地より四天王寺近辺を通過して、阿倍王子神社(市内に現存する唯一の王子神社)から住吉大社へと向かったものと推測されます。スタンプラリーの原点ですね!