ここでも大阪闇市を発祥とする「ホルモン焼店」が存在し興味深い!この地区の事を時代の生き証人の高齢者に聞いてみるとやはり第2次大戦の空襲にて通天閣より南のこの地区一帯が焼夷弾にて被災したようで、どちらかといえば「ホルモン」とか「串かつ」や「すいとん」と言った飲食のバラック小屋が中心の小規模の闇市(闇飲食街)であったようです。
ジャンジャン横丁と言えば2度漬け禁止の「串かつ」が有名です。特にこの商店街の「ちとせ」や「八重勝」は新世界正統派の串かつ店として古くから営業を続けています。よく見ればこの看板の「身体に優しい植物油を使用」には時代の趨勢を感じます。多分終戦後は、「身体に悪いから串かつは植物油で!」なんて事は夢にも考えなかったでしょうね!生きて行くだけで大変だったのですから。
「なぜかこの手の商店街にはこの手のコーヒー店が必ずあります。そしてまたこの手のコーヒー店は必ず美味しい珈琲があります!」というのが商店街の定理です。この「角ゴシック」の愛想のない看板を見てください!シンプルイズベストです!
かの有名な坂田三吉が通っていた将棋会所です。この種のゲーセンの原型は囲碁・スマートボール等がこの商店街にあり、少し他の商店街とは異なる成り立ちを持っているようです。
※どちらかというと東京は浅草に近い雰囲気です!
店舗は閉鎖的ではなく外から観戦することが可能なつくりで、賭け将棋などが出来にくいシステムだと推測されます。ともかく客の年齢層が50歳以上で完璧な「シルバーゲーセン」です。
今はもう解体されてしまった南堀江河岸の煉瓦倉庫。最近若者の街となった南堀江に長らくそびえていた街なかの廃墟。竹内力主演の「なにわ金融道」のロケ地としても有名。暴力団に拉致されて連れ込まれるのはいつもこの煉瓦倉庫!見覚えのある方も多いのでは?私も少しこの建物の保存運動をやったけど、焼け石に水でした。現在マンションが建設中。
確か四天王寺は聖徳太子が建立した仏教のお寺なのに、どうして鳥居が?と疑問を持つ人が多いのでは?この疑問について探索したところ、四天王寺の説明では「鳥居は仏教の発祥の地インドにおいて聖地結界の門を現す」との事ですが、要は鳥居は神道だけのものではないですよ!との趣旨のようです。1294年にすでに建立されていたとの事ですが、どうやら本音のとこは「ここは普通の寺ではないよ! ランクが違うのよ」という事かも知れません。
このシンプルな,どちらかというと愛想のない外観をご覧下さい。しかしこの無駄のなさこそ大阪の正当な看板建築なのかもしれません。「店の顔なんかどうでもいいの、味が良ければ!」という大阪人の姿勢が表現されています。ましてやここは四天王寺~一心寺参道、ごてごて外観に金をかける必要もなかったのです!
こちらは四天王寺の鳥居正面北に位置する漢方薬の専門店「岩崎太子堂」です。どことなくレトロな雰囲気を漂わせて微妙な存在感のオーラを放っております。画面にありますように「小児疳」という言葉自体現代ではほとんど死語状態ではないでしょうか。我々の幼児期はまだ漢方文化華やかりし頃でしたので、「疳の強い子」には樋屋奇応丸やこの岩崎太子堂の小児疳の薬を飲まされたものです。
かの有名な釣鐘饅頭の老舗「釣鐘屋」の伝統の店構えです。店舗ファサード上部には釣鐘堂までくっついており、商品のMDとデザインが渾然一体となった名作です。特に店舗間口を一杯取ったこのスタイルは見るからに客を逃がしませんぞ!といった売る側の気迫までこもっているようです。こちらも気迫を持って買わなければ!
阪堺線踏切を隔てた北天下茶屋近辺。極端に狭い道幅が人間関係を濃密にしてくれそう!
この風景の向こうを「ちんちん電車」が通り抜けて行く様は大阪人の心の原風景かもしれません。特に商店街の向こう側へと夕日が沈む頃が一日のクライマックスです。
北天下茶屋駅前の駄菓子屋さん。店番は定番のおばあちゃんです。
コンビ二大盛況の現代、この地区にはいまだに駄菓子屋さんが存在する事が嬉しいかぎりです。そういえばこの界隈極端にコンビニの数が少ないのに気が付きました。ヒューマンな人間関係がまだ根強く残っている下町なのでしょう。
阪堺電気鉄道北天下茶屋駅です。一両編成のちんちん電車が走るこの路線は生活必需路線です。経営は大変でしょうが地域のため頑張っていただきたいと思います。
次の駅名「聖天坂」は聖天さんとして地元では有名な海照山正円寺への参詣口です。
上町台地との切れ目に位置しているため坂が多く、私の少年時代はこの聖天さんの境内から大阪湾が望めました。今でも海は見えるのでしょうか?また一度少年に戻って坂を上ってみたいものです。
天下茶屋商店街風景です。やはりこの商店街もご多分に漏れず、駅西側の巨大商業施設のあおりを食っているのか閑散としています。時代の趨勢と言えばそれまでですがヨーロッパなどでは街の肉屋さん・八百屋さん・魚屋さんと郊外の巨大商業施設がうまく共存しているように感じます。中心市街地活性化法が出来ても日本では商行為の精神そのものの議論が少ないようです。
天下茶屋商店街にあったレトロな医院。昭和アールデコ風の外観はなぜか懐かしい。商店街の中に医院があること自体、地元密着性を強く感じます。
最近では最新の商業施設に逆にクリニックゾーンがあったりして顧客の便宜を図っていますが、ここではその原型がありました。
商店街裏の天下茶屋の長屋。終戦後の建築かと思われますが、よく見ると立派な「うだつ」が付いております。壁の色といい、当時としたらそこそこ立派なつくりであったのでしょう。
このような長屋建築は西成区から阿倍野区・住吉区・東住吉区にかけて色々なスタイルで現在も残っております。しかし住人そのものが高齢化し、その事自体が長屋の存亡にかかわってきております。江戸時代には長屋の住人は相互扶助が基本だったのに時代が変わったものです。
天王寺北商店街から東に2筋、並行した露地奥で回遊している不思議な商店街!天井は高いが露地の幅が狭くまるで暗い谷底にいるよう爬虫類の気分!ちなみにこの雰囲気は終戦後の闇市の名残!取材してみるとやはり当時を知る世代はここで「カストリやバクダンを飲んだ」ようです。しかしやっぱり大阪にはオモロイ所が残っているものです。感激!
薄暗い露地の奥で今でも「菓子」を販売しているお店、商品アイテムはまさしくレトロな香りのする大正~昭和のお菓子です。豆類やせんべい類が中心で、すでに袋に詰められた現代的販売方法に変わっているのが残念です。私たち当時はその都度金額に応じて量り売りをしてもらって、紙袋を大事に抱えて走り回っていたのを想い出します。衛生観念の進歩かもしれませんが当時のほうがヒューマンでローコストであったようです。
香港のクーロン城のような雰囲気をかもし出している「お菓子横丁」。迷路は出ようとする人を不安に陥れる反面、隠れようとする人には安らぎを与えるようです。だからガード下の一杯飲み屋や路地裏の居酒屋が落ち着くのはそのせいかも知れません。奥の灯りは残り少ないお菓子やさんです。皆さん近くへ立ち寄ったらレトロなお菓子で和んでください。
「お菓子横丁」の奥にある公衆トイレ!一人ではいるには相当勇気がいりそう!その昔ここの闇市ではホルモンをつまみながらカストリやバクダンを飲んで日本の復興を願っていたのでしょうね!そういえば丁度終戦記念日でした!
※カストリ:甘薯(サツマイモ)原料の密造焼酎
※バクダン:甘薯を原料とした工業用アルコール(エタノール)による密造酒。こちらは大変危険なお酒!
典型的な大阪紹介アングルで撮影してみました。通天閣を背景にづぼらやの看板・・・いまや若い世代やファミリーにまで支持されている一大観光ゾーンです。しかし両サイドのお店の看板はまるで「アジア」ですね!そういえば昨夜も大阪は熱帯夜でした。
この色彩感覚には驚きます。原色の洪水です!ここまで強烈なデザインが連続すると、かえって目立たないのではと言う気がします。人はこれを「大阪的デザイン」と言いますが果たして本当にそうなんでしょうか?この強烈な店舗を詳細に見て行くと、強烈なのはほとんど新興のチェーン店化された他県の資本の飲食店です。新世界で味を守っている生え抜きの老舗はみんな静かに営業してます!数は少なくなってきましたが!
新世界では知らない人のいない居酒屋の名店「平野屋」この日も夕刻からの開業で、昼間はこんな風ですが夜には立ち飲み客で店はあふれ帰ります。価格はリーズナブルな上に味のいい、大人の居酒屋です。やはり老舗は落ち着いている!
日本橋・五階百貨店・・・3階建てなのにどうして5階百貨店なの?と質問されると大阪人でも説明できる人は少ない。実は昭和初期までこの場所に木造5階建ての百貨店があったのです。5階の展望台からは大阪ミナミの夜景が見え通天閣とともに観光名所となっていたらしい。
焼失した後は戦後の闇市となり、現在にその名残を残す文化的遺産!
浪速区日本橋(堺筋近辺)の裏路地。ここにも定番の鉢植えの植木が!
手前の看板は「打刃物処」。一筋入るだけで一瞬にしてタイムスリップします。
しかしこの看板はまさしく「大阪看板コレクション」の上位を飾るにふさわしい作品です!
また向こうに見える小さな喫茶店がいいねー。絶品の裏路地!
「打刃物処」なんて表現がいいですね!このあたりは黒門市場と道具屋筋の間なので、昔から料亭の板前さんなんかがひいきにしていたのでしょうね!「わしは今でも日本橋の打刃物処にしか包丁はまかせへんねや!」と聞こえてきそうです。永く残ってください!
浪速区敷津の木津市場。大阪人の胃袋をまかなう2大市場(もう一つは福島区の中央卸売り市場)。この市場は比較的伝統があり江戸時代には「魚は木津」としてブランドがすでに定着していたらしい。夜明け前が最盛期であるので夕刻にはこの様に閑散とした別世界に!
浪速区敷津の木津市場つづき!
市場北側の大アーチ状の不思議なゲート。見れば見るほど風情があります。まもなく再開発で取り壊される予定。昭和の名残として残しておきたいものです。
実はこの門の横に半分壁に埋まった不思議な石があります。あたかも壁から生えてきたようなこの石は赤瀬川源平氏の「街のトマソン」そのものです。
古くからの大阪の病気平癒の神様として有名!特に「いぼ・できもの」に強い神様。大阪に生まれた大阪人のほとんどが、一度は訪れたことがある神社です。
その門前町に広がる東西800メートルほどのレトロ商店街が結構印象が強く、私も少年時代に祖母のお供をしてそのときに見たインパクトは今でも忘れません。特に神社正面近くにある漢方薬店の壁面に、錦絵まがいで吐血したり苦しむ人たちの病気の解説(まさに地獄絵)が子供心に強烈なお化けヤシキとして残っています。
やはり庶民の絶大なる支持を集めた神社だけあって、ビジュアルはすべて単純明快です!
特に高齢者・身内に病人を抱える人たちが訪れるため、占い・八卦・霊感が軒を連ねております。わかりやすい街です。
石切門前商店街の漢方薬店の看板です。薬の字の周りに丸印が九個あります?
図象学か?すばらしく完成されたわかりやすいロゴです。その向こうのだるまも愛嬌があって良い対になっています。一度見たらこの店は忘れません。名前は覚えていませんが!!
中央区空堀商店街横の路地。家の前には定番の植木鉢。大阪の下町を語るのに欠かせない必須のアイテムです。私の推測では高齢化した現代、植木鉢の手入れ具合により独居老人の健康状態がわかる伝統の長屋システムではないかと考えております。
しかし長屋の日常にうまく神社がはまり込んでます。これこそヤオヨロズの神ですね!
中央区空堀近くの織田作之助的風景です。特に空堀近辺は上町台地の西端に位置するため、土地にアップダウンがあり立体的な街としての風情があります。この坂道にある「榎の古木」は都市計画で何度も伐採されかけたが、その都度地域に災難が起こり、今では「榎木大明神」として坂の中央の祠に祭られております。「環境守護神」ですね!
粛々と営業を続けている「蕎麦の更科」です。ともかくうどん文化圏の大阪にあって、それもコテコテの新世界のど真ん中で江戸文化の象徴のような蕎麦屋を続けている気骨には感激いたします。店構えは江戸風、しかし味は納得の関西風味に仕上がっております。新興の「まやかし大阪コテコテデザイン」に負けないで末永く営業してください!