横堀川に架かる「九之助橋」。まさに上を阪神高速が覆って日の差し込まないどぶ川になっている。しかし明治・大正期はこの河川が水運のメインストリートで、鉄や銅、瓦などの建築資材から米・昆布なども運ばれたのでしょう。
ちなみに九之助橋の名前の由来は正式に記録も残っておらず不明です。想像するに九之助なる人物がこの橋を作ったのか?これも謎です!
九之助橋袂の旧家。木材商会の看板があり、やはり横堀川の水運にて木材も運ばれていたのでしょう。商業都市「おおさか」は水運で持っていたことが再確認されます。どうやら「水運」捨てたところから大阪の「衰運」が始まったようです。
九之助橋北詰め、東横堀川を背にした謎の商社風洋館。つい最近まで「中央鍍金工業」という企業の所有で大正末期の建築との記録は残っている。上部のコーニスの装飾や窓枠の装飾などなかなかの建築です。多分東横堀川を利用した商品の荷揚げを行っていたことは想像出来ます。是非解体せず有効利用を考えていただきたいものです。
鰻谷筋が横堀川と突き当たる角にある「住友銅吹所跡の碑」。今は埋め立てられて現存しないが長堀川と横堀川はこのあたりで交差していたはずです。丁度水運の要所です。
江戸時代大阪は銅の精錬では世界でも有数の技術と実績を有していたようです。原石(黄銅鉱等)をここに集積し精錬してここから産業材として各地へ搬送していたのでしょう。今では大阪の人もこのことはほとんど知りません。
住友銅吹所跡の住友家のビリヤード場の建物の復元。長堀川に面した広大な敷地に、精錬所・倉庫・事務所・住宅・蔵等多くの建物があり、戦後までその一部は残っていたとのことです。なお当時住友家は屋号を「泉屋」としており、現在も京都岡崎に「泉屋博古館」という銅器の博物館を所有、公開しています。(ただし公開期間限定にて注意)