machikado-tanteidan.cocolog-nifty.com > 住吉大社とその界隈

01 初辰さん・右手招き猫

01 初辰さん・右手招き猫

初辰さんの「招き猫」です。なかなか愛嬌のある土人形です。神社の社務所の売店にずらりと並んでいる姿はほほえましいものです。一般には右手で手招きする猫は「お金」を、左手は「お客」を招くと言われております。


02 住吉・初辰さん

02 住吉・初辰さん

住吉大社の末社「初辰さん」です。商売繁盛の神様で「商いの発達」からの語呂合わせのようです。毎月最初の辰の日に「初辰まいり」が行われております。この日にお参りをして小さな招き猫の土人形を買い求め(ただし偶数月は右手、奇数月は左手)これが48体集まると満願成就として、大きな招き猫に交換していただけると言う。最近のお菓子会社のキャンペーンの原点のようなほほえましいイベントです。この48体というのも「始終発達」から来ている本当に「オモロイ」神社です。住吉大社の親方の方は威厳を正した風格を持っていますが、ここ初辰さんは庶民との距離の近い親しみやすい神様です。


03 住吉・初辰さん

03 住吉・初辰さん

初辰さんはご神体が「楠」の古木です。実際に樹齢数百年の樹を見ておりますと目に見えぬパワーを感じます。日本では古来から古木がご神体であったり、山がご神体であったりと、実はヤオヨロズの神が回りに満ち溢れているのです。キリスト教もイスラム教も樹には神様はおりません。このことは単純なようで実は奥の深い日本人の精神性を司っているようです。自然の循環の中で生きる事、それは自然に敬意を払いその中から生きて行く糧を享受する事。人間も自然の一部であると言う日本の原始神道こそ未来の環境破壊を防ぐ砦だと思います。そういえば日本も宗教教育を否定し始めてから環境破壊が始まったのです!


04 初辰さん・楠講井戸

04 初辰さん・楠講井戸

初辰さんの境内にある、現在もこんこんと水の湧き出る井戸です。ここ住吉は上町台地の南端で、台地からの伏流水が地下水脈となっていると想像されます。住之江という名称は水のきれいな入り江「澄の江」であったとも言われておりますが、多分良質の地下水にも恵まれ、それゆえ住むのによい「住吉」であったのでしょう。
ここからすぐ南には茶の湯のメッカ「堺」が位置しております関係上、この地でも良質の水を利用した「茶の湯」が催されていた事は確かです。その関係か、良い和菓子屋も数件現存しています。


05 住吉大社・五大力

05 住吉大社・五大力

またまた「オモシロイ」風習を見つけました。柵の中の小石に「五・大・力」の三文字のどれかが書かれた石があり、その石を「五・大・力」と一組そろえると寿力・体力・財力・智力が得られ、心願成就の暁には自ら小石に「五・大・力」と書き倍の個数を再びこの柵の中に返納するシステムです。素朴な風習のようですが、この小石の一つ一つには多くの人の心願がこもっており、これだけ集まるとパワーを感じます。私も早速手を突っ込んで探してみましたが、あっという間に「五・大・力」が集まりました。隣にいたおばあさんによると「今日は五ばっかりの日や!」といってましたが「そんな事はないやろ!」


06 住吉大社・太鼓橋

06 住吉大社・太鼓橋

この橋は慶長年間に淀君が奉納したと伝えられており、享和2年(1802年)に発刊された「摂津名所図会」にはほぼ現状の姿にて描かれております。この橋は明治の頃まで神々のみが渡れる橋として神聖なものであったようです。現在は渡る事により「禊」となる儀式の橋として機能より様式を重んじる橋です。現在では降りる側・登る側の両方に木製で補助の踏み板が付け加えられ、簡単に上り下りできますが、30年ほど前までは補助板がなく、それは大変危険な橋でした。親子全員・老若男女が手を繋いで上り下りする「絆の橋」だったのです。


07 住吉大社・手水舎

07 住吉大社・手水舎

不思議な手水舎です。通常は竜の口から水が流れ出ておりますが、ここはふっくらとしたウサギの口から水が出ております。神社の説明によりますと、住吉大社のパトロンでありました神功皇后が卯の年の卯の月卯の日に住吉神のお祭りを初めて行った事より以後、ウサギが神功皇后ちなんでこの神社で大切にされているとか!しかしこの解説ではなんとも納得がいきません。なぜならウサギと水があまりに結びつかないのです。ウサギと言えば気になるのが出雲大社の祭神である大国主の命と因幡の白兎の関係です。確かウサギは隠岐の島から因幡の国に渡るのに水を嫌って海に並べた鰐をだまして、その背を飛び海岸にたどり着いたのです。だました鰐に仕返しに裸にされ傷を負っていたところを、大国主命に助けられたのが伝説の概略ですが、その後因幡の白兎は「ヤガミヒメ」と呼ばれていたとの事、その助けた因幡の白兎は神功皇后ではなかったか?これも住吉大社の謎です。


08 住吉大社・住吉鳥居(角鳥居)

08 住吉大社・住吉鳥居(角鳥居)

この鳥居も変わっております。住吉鳥居(角鳥居)と呼ぶそうです。しかしどの文献を調べてもなぜ角なのかは説明がありません。鳥居の額書は「有栖川宮熾人親王」であるとの事ですがこれもどうして有栖川宮なのか?常に知りたいのは現状報告ではなく、どうしてそうなのかという事実の裏にある背後関係です。そして常に「オモロイ」のはその部分です。


09 住吉大社・おたき道

09 住吉大社・おたき道

「おたき道」とは何だろう?好奇心でたどって行くとそこには滝が出現いたしました。それも住吉大社の境内にです。これには驚きました。私も大阪に生まれて50数年この住吉大社には数知れず参拝に訪れていたのですが、今回まで全く気が付きませんでした。結局そういう目で見ていなかったということなのでしょう。


10 住吉大社・契りの滝

10 住吉大社・契りの滝

おたき道の奥にある「契りの滝」です。滝つぼもあり修行が出来るようになっております。住乃江味噌の項で述べましたように、やはり住吉のキーワードは「水」です。特にこの滝を見て確信いたしました。東洋では水には「龍」の精が宿っていると言われ、古くから吐水口には龍が多く使われております。これは地下水の水脈の「気の力」が龍に合い通じるものがあり、長い年月に岩をも割るエネルギーを持っている水は龍そのものです。何度かこの「おおさか街角探偵団」でも取り上げてきました「上町台地」も風水学上は龍の背であるとの説もあります。ちなみに大阪城は龍の頭であり、ここ住吉は龍の尻尾です。この龍の水脈のあるところには良質の気があり「繁栄」をもたらすとされております。


11 住吉高燈篭

11 住吉高燈篭

もとは数百メートル西よりの現在の阪神高速付近にあったようですが、都市開発に伴い現在の26号線沿いに移設されております。原型は鎌倉時代の末期に地元の漁民が建造したと伝えられており、高さ五尺三寸(約16メートル)の木造で日本で始めての灯台であったようです。昔は沖合いを航行する船の目印であり、現在は26号線を通行する自動車の目印となっております。


12 阪堺上町線・住吉神社駅近辺

12 阪堺上町線・住吉神社駅近辺

住吉神社駅付近を走る阪堺上町線です。地元の人たちには通称「チンデン」と呼ばれて親しまれている庶民の足です。この電車の特徴は化石燃料を使わない、環境に優しい「エコロジー性」でしょう。欠点と言えば「ガタンゴトン・チンチン」という音ぐらいでしょうか!しかしこの音も私のように生まれたときから慣れ親しんだ人間にとっては、子守唄のようにノスタルジックです。少年時代あまり身体の頑健な方でなかった私はこの阪堺線の北畠駅近くに医院に季節の変わり目ごとに通院しておりました。その医院の薬くさい待合室から聞こえてくるこの「ガタンゴトン・チンチン」と言う音とその後の静寂のバランスがモノクロームの映像のように心に残っております。一度小学校の帰りに電車の通過したのを見計らい、線路に耳をつけてみた事があります。今電車が通過したばかりの鉄の生暖かさと遠くの方で響いている「ゴー」という風のような音が、人間の作った機械でありながら何か大きな動物の鼓動を聞いたような想いがそれ以来私の心に残っております。この電車には心があります。


13 住吉街道(旧磯歯津道)

13 住吉街道(旧磯歯津道)

住吉浜へと向かう旧磯歯津道です。不思議な名前です。歯の様に入り組んだ形状の磯がある海への道という意味なのでしょうか?色々と文献・資料を見ておりますとやはり、恩地神を祀る八尾市にある「恩地神社」と二上山麓を経由する「竹内街道」を経て当麻・斑鳩への道を「古代の道」もしくは「猿の往来」と呼ばれているようです。古代の斑鳩人は二上山より西は「聖地」として見ていたようで、そのため南河内の一帯に古墳群が造営されたのです。
それではその時代の住吉はどのようであったのか、住吉神は神功皇后の河内王朝の守護神であったことからも既にその当時には住吉に神を祭る社の形式は存在したものと推定されます。斑鳩から一直線に住吉に繋がる「古代の道」、そしてその延長線上にある「伊勢神宮」、この同一緯度上の偶然は太陽を追いかける子午線の道か?大きな磯歯津道の謎です。


14 住吉大社・水源

14 住吉大社・水源

住吉大社水源の表示。江戸時代にはこの辺りに「住吉神宮寺」という一大仏教伽藍が存在していたようです。「摂津名所図会」の住吉大社の項に広大な寺院が俯瞰図で描かれております。現在は寺院の痕跡は石碑一本のみです。廃仏毀釈の影響か?


15 住吉大社・水源

15 住吉大社・水源

住吉大社の北東の角にある円筒形の変わった建物です。住吉大社の説明によると現在は「防火用水」として利用している地下貯水池との事です。それにしてもこの建物そのものも不思議な雰囲気を漂わせておりますが、もっと不思議なのは位置が完璧に住吉大社の鬼門になっていることです。そのうえ敷地に鬼門の欠けがあります。風水や陰陽道の及ばぬ力を住吉大社が持っているのか、それとも水源そのものが結界を護る力を持っているのかこれも謎です。


16 住吉・住乃江味噌・池田屋本店

16 住吉・住乃江味噌・池田屋本店

南北の旧熊野街道と住吉浜へ繋がる磯歯津道(しはつみち)との交差点に現存する「住乃江味噌・池田屋本店」。築後400年の住吉最古の家屋、現役商店の有形文化財です。旧熊野街道は熊野詣の参詣道として昨今特に再注目されており説明の必要はありませんが、もう一つの聞きなれない「磯歯津道」は結構この住吉にとっては意味のある道のようです。ここ住吉から平野郷を経て八尾から奈良に至るこの道は住吉と斑鳩を結び、伊勢神宮に繋がる「神々の街道」なのです。地図を見ますと殆ど同じ緯度に位置するこの二つの神社の位置関係にはなにか大きな意図を感じます。子午線の道なのか?大きな謎です。


17 住吉・住乃江味噌看板

17 住吉・住乃江味噌看板

400年の歴史を感じる趣のある看板です。江戸時代から熊野街道を行き来する旅人や地域の人々に評判であったのでしょう。今でもここの田楽用の住乃江味噌は絶品です。柚子味噌も風味が良く一度体験すると記憶に残る味です。しかしどうしてこの場所に味噌なのか?考えて見ますとやはり思い当たるのは「良質の水」のようです。
住吉神社の境内にも多くの井戸があり、「若水の儀」といった水にちなむ儀式が残されています。また「契りの瀧」と言うものがあること事からも、海に近い土地でありながら良質の地下水が豊富にあるのでしょう。そういえば「住吉神社水源」と言う不思議な建物もこの近所に存在しています。住吉のキーワードは「水」です。


18 住吉・馬繋ぎのある家

18 住吉・馬繋ぎのある家

このような完全な形でそれも大阪の市内に「馬繋ぎ」が残っているのは奇跡に近い思いがします。やはり住吉は戦災を免れたおかげで歴史の隙間にこのような遺産を残す事が出来たのでしょう。また現役の建物として集会場に利用されているところが立派です。


19 住吉・木下家

19 住吉・木下家

住吉街道沿いの木下家の住居です。防火・防水の大壁造りの漆喰壁に虫籠窓。正統派の江戸末期の日本家屋です。古いだけではなく品格があります。ここ木下家、住乃江味噌の池田屋、馬繋ぎのある家、など現在は「点」で存在するこれらの文化財を地域の「面」で保存する事が今後重要となるでしょう。たとえば奈良の「奈良町」、富田林の「寺内町」などが参考になります。「エコツアー」という考え方があります。地域の拠点に観光設定をし、外部からの利用者から料金を取り、その収益の一部を環境や地域を守るために再利用する、お金の循環です。このようなアイデアを取り入れた方法で地域の財産を伝えて行くことが重要です。